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放下
蓮の花、一輪めの散り際もたいへん清く潔かったです。

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徐々に水分を失ってゆき

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       この瞬間の私を見て!

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ふれなば落ちん、という風情の花弁は本当にふれたら落ちてしまいました。
はらりと!  一切の執着もなく、きれいなまま

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二日後には、めしべだった部分だけが残りました。

   「放下」(ほうげ)という言葉を知ったのは、もう30年も前のことですが、
  それを 急に思い出しました。

何ものにも執着を持たず一切を捨て去る、という意味のようです。
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by sakillus | 2009-07-28 14:12 | 植物 | Trackback | Comments(8)
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Commented by すみごん at 2009-07-29 12:34 x
こんにちは!
蓮は花が大きいだけに、落花もダイナミックですね。
「放下」、いい言葉ですね。
はるか彼方の心境といいますか、生涯達することができそうに
ありませんが(^.^;)
雌しべだった部分、これくらいだったらいいんですが、種が見え
はじめるとちと・・・昔見た「蓮コラ」なる気色悪い画像をどうしても
思い出してしまいまして。蓮には失礼ながら・・・
Commented by sakillus at 2009-07-29 15:44
すみごんさん、こんにちは。

「放下」、私もその境地には達することができそうにありません。
今、庭をやめよと言われたら困りますもん。^^;
でも、これは禅のことばのようですが、そんな概念を生み出す人間の心も
おもしろいものだなぁとおもいます。
そして、蓮のめしべの部分の変化も見ようによってはたしかに恐くも見えますね。
美と醜は表裏一体のように近いところにあるのかもしれませんね。ただ、それを醜と見るかどうかは
見る人次第かも。
庭を観察していても時にぎょっとする場面に出くわすこともあります。
でも、それはほんの一時のことで・・・それを取りだし気色悪いものに再構築する人間の気持ち
ほどおっかないものはありません。
Commented by seedsbook at 2009-07-29 16:28 x
何ものにも執着を持たず一切を捨て去る....
なるほど。

この花芯。。。というのかな、この部分がとても好きで、早なで沢山買った事もあります。
陶器でも作ったことがあったなあ。

蓮の花は大イヴェントでしたね。

Commented by すみごん at 2009-07-29 20:52 x
こんばんは。
美と醜は表裏一体、っていうのはわかるような気がします。
また、とても美しいものが一瞬見せる醜さとか、その逆とか、もあるような。
そうそう。
今日の日記で山百合を取り上げましたので、こちらをリンクさせていただき
ました。事後報告ですみませんが、よろしくお願いします(^.^;)
Commented by sakillus at 2009-07-29 21:38
 seedsbookさん、全てに対して執着を持たないというのはなかなかむずかしいですし、
そこまでする必要はあるのだろうかともおもいますが、やっぱり・・・自分の中にネックがあるとしたら
何かに対する執着なのでしょうね。それは簡単にはいきません。

そう、その花芯、とても特徴的な形をしていますね! この世のものではないような形です。
これからどんどん枯れてゆく過程もたのしみです。

大イヴェント、はっはっは、本当にそうですね! 今年の夏はこれの印象が強く残るのでしょうね。
それが、まだまだ続くんですね。今日は3輪めの花が咲いていますし、
これから他の品種も咲き出します。^^。
Commented by sakillus at 2009-07-29 21:54
すみごんさん、こんばんは。

植物一般には芽出しのさわやかさや開花の豊穣や花の朽ちてゆく様、紅葉、落葉とある中で、
あえて醜を見出すとすれば花が朽ちてゆく様なのかもしれませんが、それさえも醜と呼ぶには抵抗があります。
それに対して人間の様はときおり 美と醜は表裏一体とおもうことがあります。
美や醜の概念は時代により人々の捉え方が違うとおもいますが、それを(とっぱらえるものなら)
とっぱらって考えると
何が美で何が醜なのか? 疑問におもったり、逆転しておもえることもあります。
醜は執がもたらすものなのか、ともおもったり・・・
だから、捨て去る「放下」という言葉に浄められる感じがあるのでしょうかね?
それにしても蓮という生きものはある意味こわい生きものですね。

山百合、リンクの件、了解です!かえってどうもありがとうございます。
その蓮の葉の写真も迫力ありますね。
Commented at 2009-07-30 07:37
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by sakillus at 2009-07-30 12:35
鍵コメントさん、こんにちは。

造形物にしろ、絵や文章、写真でも、人によって作られたものはその人の枠を出ないということですね。
(作りながら人も作品も成長するというのもありますが。それがいいなぁ・・・。)
わざわざそのようなものをつくる人には怒りと憐れみを。
同時代に生きている者としてまったく無縁であるわけにもいかず、
たまたま目にしてしまった自分に対しては、動じないだけの柔軟さを持っていたいですね。^^。
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