根津美術館は昭和16年、昭代根津嘉一郎の遺志によって開館したとあります。 総面積は2万平方メートル(6060坪)を越す広大な敷地。 美術館の収蔵品も国宝7件、重要文化財87件、重要美術品96件を含む約7000件の日本・東洋の古美術品によって構成されているのだそうです。 根津嘉一郎自らも茶人であり粋人、大金持ちだからこそできた蒐集であったことはまちがいないわけですが、そういった眼力を持つ時の権力者や事業家などによって文化が守られ水準を上げてきたことは、文化、美術、工芸の歴史の中でも重要な意味を持っていたと思います。 この庭の作庭は誰なのかよくわからないのですが、根津嘉一郎自身も作庭をする人だったようで、ここにも氏の意向が深く反映されていることは想像に難くありません。つまりそれは(茶)庭に対する深い知識があったということでしょう。 その日東京の空は晴れ、汗ばむほどの陽気でしたが、この庭においては頭上高くそびえる木々がほどよく日照をさえぎり、陰影をつくりだしていました。 茶室を下った先には池があり、その幽玄とも言える気配にはおもわず息を呑むようでした。 高速に近いがため、微かに聞こえる車の音もここでは遮断されるような錯覚をあじわい、 べつの場所に導かれるようでした。 特筆すべきバランスの良さ、池に倒れかかる大木と枝垂れる枝、池の輪郭、 そのバランスに完璧な絵を描くようにおかれた船。(上の写真、中央よりやや右) あぁこれは日本人の仕事だとこころの中でうなずきました。 池の水はかすかに動き、そこに生息する魚たちも趣を添えてくれているようでした。 これはなんと題されていたか? わからなくなってしまいました。 いい味わいですよね。 またべつの茶室、そして、池の対岸では落葉樹が高くそびえています。 まるで森のなかに茶庭があるようです。 品性と大らかさ。 これだけの品格がありながら、敷居の高さを感じさせることなく、なんびとをも受け入れる懐の広さ、深さ。 完全な調和。 まるっきり平坦な土地ではなく傾斜地を利用しているというのがおわかりいただけるでしょう。 この苔の灯籠もかわいくて! 苔むすこの石にも実生が。 そして、理由もなくやたら感動したのがこれ。 園路の苔が長い年月多くの人に踏まれはげています。 さて、この日本的な庭(風景)においてさえも、他国の影響はあったでしょう。 庭に限らず日本は古くから舶来趣味、それでも日本人のすごいところは、他国から流入してきた文化を千客万来のように迎え入れながらも、それを咀嚼し、自国の文化へと形を変え成熟させていきました。 そこであらためて自分の庭作りをふりかえると、おこがましいようですがわたしもこだわるところはそこです。 自分のやっていることなど未熟でへんちくりん、たいしたことではないけれど、ここ(日本)で生まれ育った私が、この場所にふさわしい庭をつくりたい、それが(自分の)日本人としての庭仕事をやる上での核になっていると思い、どうすればよいかをいつも模索しています。
by sakillus
| 2009-11-07 00:37
| 創作物
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Comments(11)
今日、つれあいと出かけたついでに、根津美術館に足を伸ばして来ました。
お茶席が開かれていて、これまでで一番混んでいました。 帰って来てここを見ると、sakiさんの撮られたのと同じ対象の幾つかに、わたしのカメラも向いていました。 前記事のsakiさんのお返事を読んで、 庭は基本的に制御されているもので、何式であろうと制御のされすぎとされなすぎがある、 というのがわたしの体験だなと思いました。 また、今回の記事を読んで、 こういうものを見ながら「日本人」というところに行くのがsakiさんなんだなぁと思いました。
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sakillus at 2009-11-08 17:48
ぴぴんさん、そうでしたか! それはそれは・・・
この間もそれなりに混んでいましたよ。新装したてのせいか。季節柄もいいしね。 そうですね。庭は自然の山や野原と違って生活する空間にあるものですから、 制御することは当然ですよね。 技術的なことでいえば、プロなんかの場合だと、庭作ってからいかにローメンテで 良い状態を維持できるかといのも技術のうちだなぁとおもいます。 個人的には制御をあまり感じさせない庭の方が好きですねぇ。 わたし、この島国や「日本人」ってことには意識が及びますね。 差異は意識していたいです。世界が均一になることほどつまらないものはありませんし。 恩恵は感じます。ここに生まれたことの。でも、アイルランドにうまれていたら、そこでも感じるんでしょうね。ははは。
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だる
at 2009-11-08 21:04
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はじめてコメントさせていただきます。
少し前から楽しく読ませていただいておりました。 sakiさんのお庭、周囲と一体に溶け込んでいて素敵なお庭ですね。 私もこんなお庭がほしいなって憧れます。 自分も庭造りをしていて日本庭園やカラーリーフのお話とても考えさせられました。 自然な感じのする日本風の庭がつくりたいなと思っているのですが、家にも周囲の町並みにも溶け込んでくれないです。 いまの日本の建て売りのうちだと和風の庭は合わせるの難しいのかなと思ってみたり。 根津美術館の写真、苔がかわいいですね。 またお邪魔させてください。よろしくです。
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b
at 2009-11-08 21:27
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市中の山居ですね。
この土地の田舎の景色ですね。 この土地は世界でもっとも豊かな土地だとおもいます。 客観的にみても。 客観などありえなくとも。 愛情や祈りに客観性は必要ありませんし。 あいまいではなく、言葉を断ずることが必要な気が時々いたします。 商いとしても、この土地にかかわるものとしてこの土地の住人はこの土地にもっと帰属意識を持つべきだとおもっております。 ひとも草木同様、土地のものですから。 b
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sakillus at 2009-11-08 23:32
だるさん、はじめまして! コメントどうもありがとうございます。
そう言ってくださる方がいらっしゃると思うと励みになります。 おかげさまで周囲がいいロケーションなので、これに反することはしたくないとおもっています。 カラーリーフ については、自分にとってはアイシャドウみたいにおしゃれなものにすぎないとおもっています。それでも庭に長い間すみついていれば情はわくのでしょうけれど。おしゃれが悪いわけではなくて、それよりももっと大事なものがあるのです。私には。そしてまた、緑葉でも粋な感じにはできるかなともおもっています。今後の課題ですが。そうおもうとそれもまたたのしいです。 日本の建て売り、それですよね、問題は! 大手住宅メーカーは・・・もっと風景に敏感であるべきでした。街中の店舗にしても・・・ でもなにか方法はあるとおもうのです。 苔、本当にかわいいですよね! 苔の環境に適しているんでしょうね。 こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。またコメントどうぞ!
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sakillus at 2009-11-08 23:58
bさん、こんばんは。
市中の山居、ってすごくひさしぶりに聞いた言葉です。 それだけそれに値する場所がないってことなのでしょうね。 植物の多様性は豊かさのバロメーターになるとおもいますが、その意味でもこの土地 (日本)は豊かであることはまちがいありませんね。客観ではなくても、まちがいなく豊かであると言えます。 わたしは外国へは2カ国しか行ってないけれど、bさんはいろいろい行ってましたしね。 園芸や庭作りにおいても、英国式などというものがもてはやされ再現されることに違和感を抱かないのは、まだ成熟していないことの証しなのでしょう。 どんな流れにも反の力があるように、芥子粒のようなものであっても、わたしは反の力になろうとおもいます。 ひとも草木同様、土地のもの、これ、よくわかります。わたしもそのことは強くおもいます。ここの水飲んで、ここの空気吸って、ここのものを食べれば、ここの人になる、ということですね。 追伸、この間は高速運転中にすみませんでしたね。無事に帰り着けたようで良かったです。
はは〜なるほど、sakiさんの「反」。
読むとずいぶん力が入って固い感じがします。 sakiさん自身、力をこめている感じですか? それとも「反」ということでおのずと力が入るのでしょうか? sakiさんの庭は、かなり柔らかいと感じて来たんですが。
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sakillus at 2009-11-09 11:05
ぴぴんさん、何かに反する気持ちが動く時には力が入るのは、程度にもよりますが、当然なのではないかとおもいます。ネットは文字だけの情報なので、実際以上に固く感じさせたり、必要以上に柔らかく作ることも可能です。
わたしも、おそらくむかつくだろうとおもわれる園芸雑誌は極力見ないようにしてますが、影響力の大きい方の情報などにふれると、ときに怒りやかなしみが増すことがあります。今はそうです。 力をこめているというよりも自然とそうなります。スマートな人間ではないので。 日本人はなぜもっと自国の植物に目を向けないとずっと前から言っていたのは、英国人ガーデナーです。ヴェロニカさんも、「この辺のひとは山百合を伐採して、園芸店で派手な色の花を買って植えている。」と嘆きます。一緒に嘆きます。 海外から見ても、内部から見てもやはりちょっと恥ずかしい状況なのではないでしょうか。 庭や植物に向かうときは、よけいなことはほとんどなにも考えず、対話したり、どこにいてもらうのがより適当かを考えているだけなので、力ははいりません。 植物が直接の相手で本当によかったとおもいます。
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ぴぴん
at 2009-11-10 10:45
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むかついたりするんですか。それが原動力になるのでしょうね。
外から来た人は目が新しいし、各地の独自性を尊重しているひとであれば、 土地のものの良さに反応するのでしょうね。 ひとは目新しいものに反応しやすく、 刺激には慣れて更に強い刺激でないと反応しなくなるので、 どんどん派手になったりということもあるでしょうね。 すごくはっきりした美意識で支えない限り、 貧乏になる以外に、自然に地味になる方法はあるのかなぁ... わびさびの成立も、「反」によるものだなぁ... などと、思いが巡りました。 庭では力が入らないとうかがい、なぜかなにやらほっとしました。 色々聞いたり長々書いて、すみません。お返事ありがとうございました。 別項ですが、本。予約してます! 楽しみです。
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sakillus at 2009-11-10 15:59
ぴぴんさん、こんにちは。
そう、むかついたりしてます〜。しばしば。原動力になりますね。 「それはないだろう。」っておもうブログを見にいって原動力にしてます。ははは でも、そういうところでも時には賛同することもあります。 美意識、そう! ぴぴんさんと話すとおもしろいなぁとおもうのは、キーワードが重なること。 昨日まで娘がレポートで、東洋美術史なんですが、中国の「唐三彩」が日本に流入して、それが美濃焼になった、その美濃焼の黄瀬戸と唐三彩の比較研究をしていたんです。 美濃焼は唐三彩がベースではあるけれど、日本人の美意識に基づき、日本人好みに昇華されたというものです。 そこでわたしは、その安土桃山のころ、日本人の美意識はあり(確立されていて)自然に美濃焼へと作られていったのかと質問をしたんです。 そしたら、そうではないと。名前は忘れましたが、有名な茶人が美意識を誘導したのだそうです。
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sakillus at 2009-11-10 16:00
ぴぴんさん、つづきです。
そこで、現在の状況は美意識が多様、拡散しているわけだから、ある方向を作りだすのはむずかしいのかなとも思うけれど、逆にいえば、揺らぎやすくもあるのかなとおもいました。 まぁ、極端な話、「イギリスではいいかもしれないけれど、その真っ青なベンチ、本当に日本に似合うとおもう?」って誰かが言えば、揺らぐと思いませんか? 短命な美意識は本当の美意識じゃないとおもいますね。普遍的にというのはむずかしいかもしれないけれど、長い年月に耐えられるものが本当だとおもいます。 植物や虫、鳥に対するようにいかなる人間にたいしても力が入らずに接せられればいいなぁ・・・それは理想です。一生かけてめざしてもいいかも。 また話をしに来て下さい。本は好調のようですね。!
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