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八重咲きタマアジサイ
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カライトソウが咲いています。
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カライトソウを初めて見たのは戸隠の山のふもとの森で、
高さは1mに達しようとしておりすっとほぼ直立していたように記憶しています。
日向でも半日陰でも育てられる丈夫な山野草です。
うちではなかなか高さが出ないけれど、そのうちもう少しは高くなってくれるかな?

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フロックスの右隣りではイザヨイバラが夏にも関わらずころんと充実した姿で咲いています。
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白カノコユリ
日本に自生するユリのうちのひとつ
野生ユリの中ではもっとも育てやすい部類でしょう。


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そして、タマアジサイは
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名の示すように、このような玉のつぼみがほぐれるように咲く
紫陽花の中でもっとも遅咲きのタイプです。
葉も大きく暗い色で、この辺りのさして高くない標高の薄暗いところに生えています。
樹高は2メートルほどにもなり、点々と大きな花が咲いているのを見ると
言葉を失うような驚きがあります。
八重のタマアジサイを観たのは初めて。一重のよりもロマンチックな花をしています。
不思議ですね中央部。これからここがどうなるか、
まぁおよそ想像つくのですが

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多くのヤマアジサイが女性的であるのに対し(これはあくまでも私の私感)
タマアジサイは中性的、精霊が宿っているようにも感じられる、
迫力を持って見るものに迫ってきます。


我々人間はしばしば、あるいはしょっちゅう判断を誤るのに、
植物は誤らない。
人間はなぜこうも誤るのでしょう。
本来であるならばもっとも大きな頭脳をもっているはずなのに

だからこそ、常に自分に問わなければならないと
この暑さの中でも思うのであります。
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by sakillus | 2015-08-02 23:47 | 植物 | Trackback | Comments(8)
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Commented at 2015-08-03 08:48
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by sakillus at 2015-08-03 23:33
鍵コメさん、こんばんは。

あ、見てましたか!たまあじさい。
わたしも紫陽花の中で一番かどうかはなんとも言えませんが、
3本の指の中に入るかなぁ。もう印象が違うので、野生的ですよね。

秋の気配、いいですねぇ。こちらは暑くて暑くて、早く秋にならないかなぁって願っています。笑

あ、園芸雑誌ですか?
そのようにおっしゃっていただけるとうれしいです。
庭は自分のこころの鏡だと最近思うようにしていて、
早朝のみ、草取りに励むのであります。
Commented at 2015-08-05 19:17
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by sakillus at 2015-08-06 11:41
鍵コメさん、どういたしまして。なんとかなるといいですね。

あぁ、第二の件は問題ないですよ。暑いし、こっちは半ばぐちのようなものなので気にしないでね。

重い問題というより、そのブログの主はこころが病んでいる人で間違いないと思う。彼は「正義」という名で、最初に自分の仮説があって、たいして検証もせずに他人の死について軽く取り扱いデマを流した。
そのことはそれでいいんです。むしろわからないのは「自己愛」と言った人のこと。

わたしは、それが全くないということもほとんどの人でありえないと思うし、すべて否定すべきものでもないけれど、
私自身は極力なくしていきたいと思っているのね。
そういう魂にいつか、ずっと先になれたらと思う。
でも、わたしのしたことは85%は自己愛ではなかったですよ。なのになぜそう言ったかのほうが理解できない。
これは自己愛とはなにかという哲学的課題でもあるかもしれないなぁ。

戦争行きたくないのは当然ですよね。基本的人権でもある。

そうそう、鍵コメさんが娘さんのために料理がんばるのは自他ともに大切にするという誰からも非難されない、まちがいのないこと。
Commented by fairyhatskyoko at 2015-08-06 15:32
真面目なお返事をありがとう。

自己愛って何?という哲学的なことを、
お勉強という机上の論理ではなく、
毎日の実感のなかで、
これから深めてゆけたらいいです。

そういうきっかけをくれるから、このブログは好きです。
Commented by sakillus at 2015-08-06 23:46
kyokoさん、こちらこそ。

自分に向ける愛情が自分を高めるために使われる、(たとえばきちんとよいものを食べようだとか)なら良いのですが、
自分に対する執着であるとか、他人と比較して狭量になってしまうことには気をつけないとな、と思っています。
なかなかきれいさっぱりなくすことはできませんが。

kyokoさんみたいにめずらしく好きといってくださる方があるとうれしいです。
Commented by fairyhatskyoko at 2015-08-11 08:32
さきさん、ちょっと分かりました。
愛は間違えない、、、と言った人がいましたが、
そうとも言えないのですね。
そして、究極の愛はバランス、ワンネスなのかな?

もちろん、私はまだまだなんですよ。
Commented by sakillus at 2015-08-11 13:29
kyokoさん、前のわたしのコメントで前者をAとして後者をBとします。
Aの場合であっても他のものと相対するため(そこに愛を存在させるために、他のものに愛を向けられるようにするために)自分を維持したり鍛えたりするものでありたいと思っています。
極論ですが、自己愛さえないところに行き着きたいと願うのはそんなところ。

「愛は間違えない」というのはやはり時と場合によるというのかな、相手があることなので、その人自身は間違えのない愛でもって行ったとしても結果的に良くないことがあることもありますよね。ガンジーが最期、殺されてしまったように。
でも、ガンジーとしてはそうしなければならないものをもっていたのでしょう。

バランスも大事ですね。刻々の変化に対応できますように。
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